家族写真、最後の・・。

 

“人は忘れることによって、生きていける”、という言葉がありますが

 

忘れてはいけないこともあると思います。

 

そのひとつ、周辺住民の生活全部がまたたく間に壊されてしまう、福島原発事故のこと・・・。

 

 

 

 

先日、埼玉新聞社の橋本記者さんが、取材の際に桑原さんに浪江町の自宅の写真と家族の写真を見せてくださいという要望があったので、

 

お父さんから提供してもらった写真を見せてもらいました。承諾をもらったのでここに掲載します。

 

 

 

↓ タイトルには『忘れられた桜』と、ありました。

 

震災後、住民がいなくなった浪江町の桜も、春を告げてます。

 

見る人がいなくても、残されてひとりぼっちでも、けなげに見事に花を咲かせてくれてます。

 

 

sakura1 sakura2

 

 

↓タイトル『2010年8月24日 闘病の妻の為に作った庭先の花畑』とありました。

 

震災前、お母さんはおうちのベッドの上から、お父さんが作ってくれた花々を眺めておられたのですね。

 

niwa

 

 

↓タイトル「浪江町自宅 手造りの風除け塀」

 

zitaku

 

↓一時帰宅のときのようです。親戚のおうちの前でのお父さんとお母さん。

 

titi haha

 

↓そして家族の写真

 

タイトルにはお父さんの自筆で 『やっと叶った外出 平成25年3月11日』と、あります。

 

 

入院中だったお母さんの外出許可が下り、震災後バラバラに住んでいる家族全員が集まって、滑川町の森林公園にお出かけしたときの、

 

家族全員写真(付き添いの看護士さんも一緒)、これが最後の・・。

 

左から3番目が桑原さん、4番目がお母さん。

 

kazoku

 

この8日後、熊谷市内の病院で、

 

自分が苦しいとか痛いとかつらいことよりも、家族のことを思っていたお母さんが

 

家族に見守られるなか「ありがとう」を何度も繰り返し、

 

息を引き取られ、向こう岸へと旅立っていかれたそうです。

 

 

取材中の話がそんなくだりになるなか、自分の目に浮かんできた涙を気づかれないようにそっとぬぐったことは、ナイショにしとこっと。。。

 

 

 

 

 

福島原発のことでは先行きが見えなくて、解決しない課題をかかえてて、理不尽なこともあって、

 

いろいろ背負っている桑原さんですが

 

彼のキャラが、話しかけやすいらしくお客様には人気です。

 

 

桑原さんにとって、人生の転機となった、2011年3月11日。

 

これから幸運をいっぱいつかみとってくれることを祈って、私たち築地住建は仕事仲間として、彼と共に歩んでいきたいと思っています。