以前お知らせしました、熊谷市内で“被爆地からのメッセージ”というシンポジウムが開催され
↓桑原さんが福島県浪江町に居たときの、東日本大震災当日の状況から~避難までの、被災体験を語りました。
地震当日のことから、福島原発の大きな爆発音や振動のこと、お父さんの指示でやった対処の内容、自衛隊が自宅に来て避難命令が出てから避難したこと、避難先でのこと等でした。
避難先で、ボランティアの方々が作ってくれたカレーの温かさが心に残っていることも、話していました。
結びに、お世話になった全ての皆さんへ感謝と、こちらの地に足をつけて恩返しをしていきたいと、締めくくっていました。いつもながらのG・N・O(義理・人情・恩返し)の人です。
↓質疑応答タイムでは、桑原パパ(中央)が大活躍。
桑原パパは自費で高価な線量計測器を購入して、これまで各地を調査を実施してきた膨大なデータと豊富な知識で、非常に説得力のある話ばかりでした。
様々な質問に適格に応えておられ、実態を知ることができました。
“桑原さんが東日本大震災を語る”をUPしましたので、よろしければこちらもご視聴ください。
ごめんなさい、ほんの冒頭だけなのはまさかの電池切れです。しっかりしてください!自分。(>_<)
↓翌々日、朝日新聞に掲載されました。
被爆について、あまりの無知さ加減と、意識の低さを思い知らされた筆者でした。