3.11 そのとき僕は・・

チーム築地に仲間が一人増えました。

福島県浪江町からやってきました。自宅は原発から13キロです。

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↑「木に触れているとほっと安心できます」と言う桑原さん、29歳です。

あの日の衝撃的経験を、時折見せる素朴な笑顔を添えて語ってくれました。

「いつもと同じように現場で仕事中でした。電信柱がグワングワン大きく揺れて立っていられなくなりました。

周囲の家々から次々と瓦が落ちてきました。

すぐ目の前では古い土壁の家がバキッバキッバキッという音と共に倒れました。そのときの土ぼこりがそれはすごかったです。

地面は地割れが起きて、水道管が破損したのでしょう、地面からは水があふれ出てきました。

その日以来ボクの乗っていた車はエンジンがかからなくなり、ドアも開かなくなってしまいました。

津波が到達した場所からは2キロ程離れていましたので、津波はそこからは見えなかったのですが、ゴーンゴ―ンと不気味な音が地面の底から湧きあがってくるように感じました。あとで知るとその音は、津波で家や車がぶつかって壊れる音でした。

当日は海側の現場へ行く予定でしたが、急遽変更になってあの日は山側の現場へ行くことになりました。予定通り海側の現場へ行っていたら、もう僕はたぶん今ここにはいないです。(笑)

家の前に自衛隊のヘリコプーが着陸して、隊員が『内閣総理大臣の命令です』と言われて紙を見せられ、避難することになりました。行き先はさいたまスーパーアリーナでした。

現在騎西には祖父母がいますし、羽生高校に従兄が通うことになりました。父と弟は今も福島の原発で働いています。

病気で入院している母も近くの病院に転院できることになりましたので、これから熊谷で家族で暮らせる目途が少しずつたってきました。

今まではまだ戻れるかもということもありましたので、バイトをしていました。

また大工の仕事ができて、うれしいです。←ここんとこで素朴笑顔度が全開でした

家は3年前に、自身で新築されそうで、あの地震でも瓦も落ちずに今でもしっり建っているそうです。でも家の中は物が散乱状態だったとか。

もう一度家を、ここ埼玉で家族のために建てたいと話してくれました。

大災害の混乱の中で、2級建築士の資格試験を受験しています。合格発表は12月です。

履歴書には“人に喜ばれる家を建てたい”と書いてありました。

皆と一緒に切磋琢磨しましょう!

現実を受け入れて前向きに、精一杯努力しようとする桑原さんが描く未来は、希望がいっぱいでした。p(*^-^*)q ♪